2024年1月18日、野球殿堂博物館が本年度殿堂入り3氏を発表し、谷村友一OB(2022年他界 享年 94)が特別表彰で殿堂入りされました。谷村 OB は元セ・リーグの審判員で、審判員としてアマチュアからプロに転向して半世紀、プロ・アマの垣根を取り払った存在としてその功績が評価されました。
谷村 OB は旧制同志社中学(現 同志社高校)より同志社大学に昭和 21 年入学。大学では野球部主将を務め、卒業後は極東商事(現三菱商事)に入社。
本業の傍ら昭和 27 年(1952 年)都市対抗野球大会に京都クラブの二塁手として出場。その後、大学野球、高校野球、社会人野球の審判員として活躍。昭和 33年(1958年)の全国高等学校野球選手権大会では、延長 18 回引き分け再試合となった徳島商と魚津高の三塁塁審を務められました。
昭和 34 年にセ・リーグ審判部入局、昭和 61 年には史上 5 人目(当時)の 3000 試合出場を達成。同年歴代 17 位通算 3026 試合出場で現役を退かれました。
(出場は通算 3026 試合、日本シリーズ 11 回、オールスターゲーム 6 回)。
昭和 62 年(1987 年)から技術指導員、平成 5 年(1993 年)にはセ・リーグ審判総務部を新設、後進の指導にあたるとともに、全日本野球会議で審判技術委員を務められました。プロ・アマ双方で審判を務めた経歴から「プロ・アマの壁をなくすため、審判員から取り組んでいこう」と先頭に立って活動されました。平成 14 年(2002 年)初版の全日本野球協会発行『審判メカニクス・ハンドブック』の編集に尽力され、今も版を重ね、「審判のバイブル」となっています。
同志社出身の野球殿堂入りは前身の同志社英学校卒で早稲田大学野球部の初代部長を務め、戦前における日本野球の育ての親と言われた安部磯雄氏以来 2 人目となります。